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31【日本史4】鎌倉時代の終焉!日本vsモンゴル帝国&NEW仏教SIX
モンゴル帝国のフビライ・ハンの最強の軍隊が日本に上陸してきて、日本、大ピンチ!さて、ここからが、冗談のような結果になります。お楽しみください!
参考資料
みどころ
●モンゴル帝国の襲来
日本と戦っていたモンゴル帝国の軍は勝っていたが、夜になったので船に戻る。夜の間、嵐が来てモンゴル帝国の船は沈んでしまう
●モンゴル帝国の再襲来
1回目は3万人の軍隊、2回目は14万人の軍隊を日本に送り込むモンゴル帝国。勝っていたが夜になったので、モンゴル帝国の軍は船に戻る。夜の間、嵐が来てモンゴル帝国の船は沈んでしまう(2回目)
元寇
モンゴル帝国による2度にわたる日本侵攻の呼称
鎌倉時代中期 九州北部が戦場
【元寇の流れ】
モンゴル帝国5代皇帝フビライ・ハンが日本へ友好関係を結ぼうと手紙を送る
↓
しかし日本はその手紙をことごとく無視
↓
2度にわたって日本に攻め入るモンゴル帝国軍
↓
しかし2度とも「神風」なる大暴風雨が吹き荒れ、モンゴル帝国軍はほぼ壊滅状態
●鎌倉幕府の終焉
元寇は防衛戦なので戦ってくれた人に渡す領地がない。お金も使ってしまった。そこからほころびができて体制が崩れてゆく。
感想
世界史を見て、モンゴル帝国軍の強さを知ったあとに見ると、日本が助かったのは本当に奇跡だと思えてきます。しかし、2回も‥😅
32【日本史5】平安時代!母の愛が日本を揺るがす大事件「応仁の乱」
参考資料
風姿花伝はウッチャンナンチャンの南原さんに、「これ面白いよ」と勧められて読んだ本です。
風姿花伝は Unlimited読み放題の対象です
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みどころ
●かつて栄華を誇った北条一族800人集団自殺
北条家が新田義貞側に囲まれて、「もうダメだ」と観念して800人以上の集団自殺
●日明貿易
室町幕府は中国の明と貿易を行う。
「日本は中国の子分です」という形の貿易から始まった。
倭寇(わこう)という海賊団が中国の沿岸で悪さをしていた。
足利義満は「倭寇を取り締まりますんで、貿易させてもらっていいですか?弟分という形でいいですから」と交渉する。その結果、新しい文化が花開く。銀閣寺など
感想
南北朝の争いって60年間も続いたんですね。長すぎるでしょ(笑)!
33【チンギス・ハン1】モンゴル帝国の初代皇帝【偉人伝】
モンゴルの英雄チンギスハンの偉人伝です。かつて世界一の領土を拡大しました。最大の大魔王として、もっとも謎の人だそうです。
みどころ
●妻たちと妾
最初の妻はボルテ。ボルテの他にも5人の后、500人の妾がいた。第一の妻のポルテとその4王子は大事にしてた。
●妻ボルテが敵族にさらわれる
仲間と一緒に妻を取り返しに行く。
感想
愛する妻を敵から奪還するところ、盛り上がりますね~。映画化してほしいです!
34【チンギス・ハン2】成功者の奇跡&後継者争いで壮絶なドラマが!【偉人伝】
モンゴル帝国を作ったチンギス・ハンは大きな変革を試みた人です。その視野の広さ、合理性は、日本の織田信長にも通じるものがあります。
チンギス・ハンの1番目の妻が敵族のメルキト族にさらわてしまいます。チンギス・ハンと仲間たちは妻を奪還するために敵国に向かいます。奪還に成功して、国に帰ってきた時に妻はお腹が大きくなっていました。その子はどちらの子供なのか。その後に続く後継者争い。チンギス・ハンはどのような決断を下すのでしょうか!?
みどころ
●チンギスハンのマインド
部族や血の繋がりにこだわらず、優秀な人間を引き立てるという新しいマインド
(織田信長に近い合理的なマインド)
遊牧民族(騎馬)と王族体制が合体した初めての国家を作った
●馬の使い方が斬新
馬を乗りかえるシステムを構築した。馬舎を設置して、数百頭の馬を常備させる。一人の兵士に56頭の馬をつけた。馬が疲れたら乗り換えてゆく。嵐のように広い国土を駆け回った。
(信長の銃の使い方に似てる)
●スピードと合理主義の人
通行許可証の木の札を、重要度によって色分けした。重要度が高い人ほど優先的に、馬を替えてスピードウェイを通らせる。それによって広大な国土でも管理ができた。駅伝制を作って旅行を安全にした。
●貴重な塩の引換券が、現在の紙幣の始まり
感想
合理的と言われていたチンギス・ハンが、後継者争いで見せた弱さと業が切なかったです。
35【日本史6】ついに戦国時代編!織田信長と豊臣秀吉がいよいよ登場
戦国から江戸の終わりまでのエクストリーム授業「省くとこガン省きします!(笑)」さらに省いたこのまとめをご覧ください。
参考資料
みどころ
●織田信長
・鉄砲による軍事改革
・傭兵(お金で雇った専門部隊)
今までは農民を兵士にしていた。兼業兵士なので農業の閑散期に戦をしていた。
・仏教弾圧
1回だけ南無阿弥陀仏を唱えれば救ってもらえる浄土真宗が、民衆たちに広まって、「一向衆」という武装集団になっていった。一向一揆などの反乱をしてゆく。信長はそれらも弾圧してゆく。
・合理的人事
人の繋がりよりも成果主義
●豊臣秀吉
「スピード&コミュニケーションの人」
「早い!そしてうまい!吉野家みたいになっちゃったんですけど」
農民出身で一番上の地位まで上り詰めて行った
・中国大返し
中国地方で毛利軍と戦っている時に、織田信長の死の知らせを聞いて、それを相手に隠していったん和睦する。そして急きょ京都に帰る判断の早さ。光秀討伐からの天下統一のビジョンも見えていた。信長の一番弟子というわけではなかった。
感想
織田信長を「ヴァイオレンス&イノベーションの人」、豊臣秀吉を「スピード&コミュニケーションの人」と一言で表現するあっちゃんの分析能力に感心しました。